どっかの馬鹿の妄想と生活と創作についての雑記。
「秋本くん秋本くん秋本くん秋本くん秋本くん秋本くうん! ワタシねえ、知ってるよう」
人の悩みは尽きることがないという。確かにそうだなあと思う。尽きることがあればどんなに楽だろうか。 秋本くんの家から逃げ帰ったワタシは秋本くんを見る度に疑問と吐き気に忙殺された。彼の教科書やノートを潰す作業も手に付かないほどに、ワタシはワタシの中に巡る疑問に悩まされいる。 そう、疑問……疑問だ。 ニコニコ笑ってる秋本くん、真面目に授業を受けてる秋本くん、今日はペンがあるんだと笑う秋本くん。果たして彼はあの扉の向こうにある“モノ”のことを知っているのだろうか? 自分の姉の部屋にある“モノ”のことを理解しているのだろうか。 知らないはずはないと思うけど、秋本くんはワタシの斜め上を行く馬鹿なので、もしかしたら知らないのかもしれない。 違うな、うん。 ワタシはできれば秋本くんに知っていてほしくないと思っているんだ。秋本くんが扉の向こうにあるものを理解していて、それでいて、こうやって笑っているということを信じたくないんだ。 そんな恐ろしいこと、信じたくない。 でも、そうすると秋本くんは何故、貧乏なんだろうという疑問が湧いて出る(ワタシの想像通りならという前提で)。 秋本くんは本来、御曹司とかいう奴のはずで、コンビニの廃棄弁当を食べているような立場の人間ではない。 秋本くんから拝借した財布の中にもお金は殆どなかった。秋本くんの出すゴミの中を調べても妙に生活感のあふれるものばかり。庭には小さな家庭農園なんかあるし。 何故、お金がないのか。 何故、ゴミは殆どが秋本くんのもので、姉のものがないのか。 何故、何故秋本くんの両親は家にいないのか。 いろいろな疑問が脳内をぐるぐると駆け巡り、ワタシはひとつの答えに行き着いた。 どーでもいいや。 秋本くんが知っていても知らなくても秋本くんは秋本くんだし、あの姉がトチ狂って誰か殺してしまったのだってどうでもいい。何を食べてて、どう狂っているのかだってどうでもいい。近寄らなければいいだけだし。 それよりもワタシに重要なのは秋本くんのことが好きってことだけ。秋本くんとラブラブのイチャイチャのドロドロになりたいってことだけ。 いろいろ考えすぎて、疲れたワタシは元気よく秋本くんを脅して、元気よく秋本くんの心を犯した。 PR ∴ HDDの肥やし。 「君が死ねば世界は救われる」
そう言われたら君はどうするだろうか。 今まさに目の前に自分を殺すための装置があって、その機械によって数億数万の人間が救われると言われ、みな自分の死を祈っているという状況に出くわしたら君はどうするだろうか。 愛する人もそうでない人も、とにかくみな私の死を願っていて、私からの望んだ死という歪な形を願っていて、その為に優しくし、暖かい言葉を投げかけ、一生懸命、世話を焼いてくれるとしたら君はどうするだろうか。 死んでほしいという一心から私の死を願っているとしたら。 当初こそ親は泣きはらしたが、結局は政府から宛てがわれた莫大な保証金の為に私の死を当然のこととして取り扱い、人類の犠牲になることを素晴らしいことのように語った。友人は死んでしまうのだからと私にいろいろと世話を焼いてくれて、優しくしてくれて、いろんなことを助けてくれ、死んでも忘れないと言った。見たこともない人や聞いたこともない人が私のもとに訪れ、シャッターを切り、通訳が言葉を訳し、ビデオカメラが回され、スポットライトが浴びせられた。 私の住む町には巨大な私の象が立ち、私の死ぬ日は世界的な記念日となり、私はカトリックだかプロテスタントだかイスラムだか仏教だか、よく分からない宗教群の中で聖人として認められることになった。 市や国は私の生い立ちから私の今日までを徹底的に調べ上げ、何時どんなことをいい、どんなところでどんな失敗をしただとか、若かりし頃のありもしない逸話をでっちあげ、まるで偉人のように祭り上げ、それを本にして発行した。 来る日も来る日も人が訪れ、私のどうでもいい些末な願いは叶えられ、崇められ、英雄のように扱われた。最初こそ疑問を感じていた私も、その内に「そうか、私が死ぬことは偉大なことで、人類の為になる素晴らしいことなのだ」と思うよになった。今、思えば錯覚だ。 人はみな私が死ぬために、死んでほしいが為にそうしたに過ぎない。そうすることで彼らは私よりも数十年ほど長生きできるからという、そんなつまらない理由でだ。 私はこの十字架のような特殊な機械で両手のひらと足の関節を打ち抜かれ、苦悶に歪む表情を世界中継によって人々に知らしめなければならない。麻酔もなく、ただ脂汗を額に浮かばせ、歯ぎしりする姿を無機質なカメラによって晒さねばならない。 カメラの側に置かれた液晶に浮かぶ世界の人々の期待に答えねばならない。 ただ死ねという期待に。 しかし、まだ私はそれだけでは死ねない。 最後に特殊な矛状の機械によって肋骨と肺によって覆われた心臓を串刺しにされなくてはならない。その死によって世界は救われる。 血反吐を吐き、苦しみながら、それでも人類のために早く死のうとする私の姿を世界にみせなくてはならない。人類の為に。 人類というちっぽけな存在の為に、どうでもいい人間たちがたった数十年長生きしたいが為に私という存在が半世紀半にも満たない時間で終わりを告げねばらなない。 後の者は苦しみも幸福もあり、それら味わえるだろうが、私にはそれがない。その端の端きれすら触れられない。 それが何とも何とも私には耐え難く、羨ましく、憎ましく思えた。 私は今この時を持って死ぬだろう。世界や側にいるスタッフは私が自分から望んで死んだと思い、喜ぶだろう。冷蔵庫の冷えたビールでこの後、祝杯を上げるのかもしれない。 そうはさせてなるものか。私は微笑んで、死ぬ。世界のみなを案ずるように死ぬ。しかし、その裏には憎悪と生への渇望を抱きながら、人類を呪いながら死ぬのだ。 死にたくないと思いながら。 私の死を確認した後、彼らはきっと驚くだろう。世界が救われておらず、その為の術もないと知ってきっと。 ああ、それが楽しみだ。私の人類に対する復讐。私の死を願い続け、私に死ぬ以外の価値を見出させなかった人類に対する呪い。 息も思考も続かない。 ただ私は微笑んで、息を引き取る。 ∴ うふふ。 |
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幸せになりたいと思うけど、幸せを手に入れた瞬間、幸せを失うことを意識しなければならない。いつか消えてしまうことに怯えなければならない。だったらずっと不幸のままでいい。
あとネットで小説とか書いてます。ヤンデレとか好きです。
∴ プロフィール
HN:
鬱
年齢:
125
HP:
性別:
非公開
誕生日:
1900/06/07
職業:
ニート→ライター(笑)→ニート
趣味:
読書、アニメ、映画鑑賞、引きこもること
自己紹介:
幸福論でいけば確実に不幸な人間です。それに加えて変人です。自分ではそうは思わないのですが、みんなが口を揃えて変人というので多分そうです。人間関係苦手です。そんな名古屋人。
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