どっかの馬鹿の妄想と生活と創作についての雑記。
∴ 第三次飢餓大戦。 冷蔵庫の中身が卵2個(賞味期限がちょっとアレ)とにんにくと調味料各種しかない。
私は絶賛ニートタイムなので金もない。 さて私はどうしたらいいでしょう。 どうしたらいいでしょう?(疑問形及び必死な感じ) 毎回、死にそうになると「私のお話し読んでくれてる人から蘇生費として100円ずつ看破募れば千円位行くんじゃないの」とか悪魔の囁きが聞こえるけど、下手にお金が集まるとそれなりに責任とか出てきたりとかするのでできない。 お金取れるレベルでもないのにそんなことしてると叩かれるのでやんない。 あと味をしめて調子に乗りそうなのでできない。 今日も明日を生きるための方法を考える。 そんな毎日。 ジャガーさんじゃないけど、イヌとかネコの方が私よりもイイ物食べてるよ、絶対。 ペディグリーチャム的な感じのアレ。 は、働きたくないなあ……。 PR ∴ 体調はそこそこ。 男は世界の危機を何度も救った英雄だった。
困っている人がいれば助け、皆がより良い答えに行き着くように道を指し示し、あらゆる困難を打破し続けた。皆を襲う悪党が入れば危険を顧みず、自分の倍はあるだろう敵に向かってひた走り、倒し、そして帰還した。 男は何も求めず、みなと同じ暮らしを望んだ。それなりの待遇を得ることも可能であったのに、男は平和と平凡を愛した。 無欲を貫き、ささやかな食事を楽しみとして暮らした。 そんな男にも死が訪れる。 みなは悲しみ、男のいない未来を恐れる。しかし男はいう。 自分のしたことなんて大したことじゃない。勇気があれば簡単なことだ。 みなは死期の迫った男の言葉に頷き、勇気ある明日を生きようと誓った。 そして、その日、一匹のアリが死んだ。 *もしかしたら私たちの世界もアリと対して変わらない世界なのかもしれません。 ∴ 価値観の違い。 よく私は価値観の違いについで考える。
例えば、魔女狩りが正しいとされていた時代に一生懸命、魔女(とされる人を)裁いていた人。 この人は純水さ故に宗教を信じて、みんなから害をなくすために魔女を殺していた。後々の歴史じゃそれが恐ろしいことだと判断されるけど、でも当時はちゃんとしたことで、正当化されていた。 その人の行いは客観的にみればおかしいけど、でも聖なる魂で清い心からその行動は行なわれている。 例えば、あらゆる貧民に対して施しを与え、病に倒れる人を看取った人。 この人は自分やあるいは宗教の教えや自分の正義から、一生懸命行動して後々に聖人あるいはそれに準ずるものとして判断される。 この人の行いは現在の考え方や客観的にも正しい。心やその行動原理は清いものだ。 この二つはそれぞれ違うようで実は全く同じものだ。自分が正しいと思っていることと正義や清い心で行っているというのは全く同じ。行為が違うだけで、その性質は同じなのだ。 そう考えると何が正しくて、正しくないのかが少し曖昧になる。 私たちはある一定のルールの、それも正しいとされている事柄の中で準ずるように生きている。だからこそ、私たちの正義は私たちのルールの中でしか行使できないもので、それ以外のルールの中では意味をなさない。 全く違う価値観を持っている人に自分の正義を理解させるには並々ならぬ労力を必要とするということ。 理解とか価値観って難しい。 |
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幸せになりたいと思うけど、幸せを手に入れた瞬間、幸せを失うことを意識しなければならない。いつか消えてしまうことに怯えなければならない。だったらずっと不幸のままでいい。
あとネットで小説とか書いてます。ヤンデレとか好きです。
∴ プロフィール
HN:
鬱
年齢:
125
HP:
性別:
非公開
誕生日:
1900/06/07
職業:
ニート→ライター(笑)→ニート
趣味:
読書、アニメ、映画鑑賞、引きこもること
自己紹介:
幸福論でいけば確実に不幸な人間です。それに加えて変人です。自分ではそうは思わないのですが、みんなが口を揃えて変人というので多分そうです。人間関係苦手です。そんな名古屋人。
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