どっかの馬鹿の妄想と生活と創作についての雑記。
∴ 私は貪欲だ。 私達はあらゆることに貪欲だ。
私のような自己嫌悪と自己否定が常に渦巻いているような人間は、自分がこの世に必要ないと分かっていても生きることに貪欲だ。 だから存在意義を常に考え、求められることに対して執着を持つ。 社会的だろうと文芸だろうと精神的なものだろうと求められるということは、イコールで生きていていいということに繋がる。 自分はどこかで合理的で理論的だと思っているはずなのに、そういった部分で非論理的で非合理的なのだ。 生きる為に自分を殺す。 求められる像は本来の自分とは違う自分だから己を偽る。 本当の自分はそれを嘲笑う。それが最も自分が嫌いな人種でだから。 しかし、それがなくては生きていけない。 誰かに必要とされていなければ私は何を目標に生きていけばいい? 私には何もない。 誰かに恋することも、より良い生活を送る為に努力することも私には必要ない。誰かよりも優れているだとか優れていないだとかどうでもいい。 私は死んだように生きたい。 自分という個に閉じこもった私は酷く脆い。 他人と交わることを知らない。他人と自分の差異故に交わることができない。何もしてこなった私は、何も誇れることがない私は、全てが無意味だと思って生きてきた私は私を見ようとする他人が嫌いだ。 だから他人に邪魔されず、植物のような生活を送りたいと願う。 死んだように、眠るように生き続けられば私は私に絶望しなくて済む。気の遠くなるような生という時間に、先の見えない己の将来に怯えなくても済む。 ただ必要とされることを生きる糧としながら、静かに生きていられれば私は何も要らない。 私は貪欲だ。生きることに。 PR ∴ 私の歩き方。 私の夜の歩き方。(強制触れ合い編)
夜空が綺麗な日、或いは極端に空が濁った日に外に出る。 ちなみにとにかく静かな夜にすること。人が寝ているというか街全体が寝ているような雰囲気だと非常によいです(静かなことはかなり重要) 頭にはペッボトルの蓋のようなものがついていて、それを開けて脳みそを空気に直接触れさせているよう感覚を作る。そして世界には人は自分しかいないのだと思い込む。(深呼吸して孤独を楽しむような感じでいくとやりやすい) 石が、草木が、街灯の光りが息をしているのだと思う。 ここらへんから首筋をゾクっとするものがくると思う。 ここで誰かに見られている感覚がするならかなり素質あり。 こなければ何となく好き方向に進む。暗い方向や音が死んでいる方向に進む。 何の変哲もない道だったり、草陰や竹やぶ、廃屋を見てこわーっていう感覚よりも「脳を掴まれるような恐怖感」がすれば成功です。ついでにいうとそこには近寄らない方がいいです。 視覚ではなくて脳が見てる感覚が大切です。(表現が難しい……) 終わったあとは必ず蓋を閉める作業を行いましょう。開けっ放しにするとそのまま元に戻らなくなって大変な目にあうかも知れません。 これを一度覚えると後々後悔するかもしれません。なんてことのない夜道ですら何かに気がつかされることになるかもしれません。 蓋を開けるということはそういうことです。 でもそういう世界を望んでいるならやってみる価値はあるかも? 書いといてなんですが、何が起ころうと私は一切責任を取りません。 終わった終わった。長かった? いや、意外に短かったかも。
あ、こっちは私の自由帳なので好きなことを書きます。 えーと、うん。 持ってる話はいっぱいあるんだけど、それを文章に興すとなるとめちゃくちゃ大変。 口頭だと面白い話も文章にするとつまらなかったりしたりで疲れました。 基本的に出来事のおこった場所は現在でも残っていたりするので、そこまで行って写真を撮ろうかと思ったけど、だから? で終わりそうな予感がしてやめました。(私の話に限っては全部、残ってます) それにそうしてしまうとリアリティがあり過ぎて、自分の記憶のどこかにある風景とはかけ離れてしまう気がする。ようは想像と違うなあみたいな。 でも、もしやるなら夕暮れ時とか深夜にやりたいなー。それこそどこかで「深夜に写真を取る怪しい人影」とかって語られそうな気もするけど。 ある意味、聖地巡礼。 後半はおどろどろしいものを書いているというよりも、ホラー小説的な文章を書いているって感じがして少し不安だった。安定しているのは後半なんだろうけど、後半は前半みたいな「ちょっと聞いてよ、この前こんな変なことがあったんだってば!」みたいな感じを出せなくなったような気がする。 でも前半みたいな支離滅裂な文章が混じったのもどうなんだろ。 あと所々幻想的なものに頼ってしまった感も否めない。 とにかくぞっと、あるいは不思議な気持ちにさせれたのかが不安。 面白さは二の次で、それが重要なのです。 あと文章表現に気を使ってみた。私は元々、比喩表現とか柔らかい表現方法が苦手なんですが、気を使ったせいで読みくくなっているかもしれない。 物語はエンターテイメントなのに特定の人しか分からない、楽しめないような文章は嫌だ。反省。 書き終わっていつもみんなを楽しませれただろうかって悩む。 つまらない文章を書いて自己満足で終わるような書き手にはなりたくない。それって自分の能力に妥協してるだけだと思うし、その状況って“死んでる” もっともっとみんなを楽しませたい。私もその方が楽しいし。 関係ないけど、キリ番の方の文章読ませていただきました。いろいろ覚悟はしていたのですが、普通に励ましのお便りだったので、ちょっと安心しました。 これからも精進します! |
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幸せになりたいと思うけど、幸せを手に入れた瞬間、幸せを失うことを意識しなければならない。いつか消えてしまうことに怯えなければならない。だったらずっと不幸のままでいい。
あとネットで小説とか書いてます。ヤンデレとか好きです。
∴ プロフィール
HN:
鬱
年齢:
125
HP:
性別:
非公開
誕生日:
1900/06/07
職業:
ニート→ライター(笑)→ニート
趣味:
読書、アニメ、映画鑑賞、引きこもること
自己紹介:
幸福論でいけば確実に不幸な人間です。それに加えて変人です。自分ではそうは思わないのですが、みんなが口を揃えて変人というので多分そうです。人間関係苦手です。そんな名古屋人。
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