どっかの馬鹿の妄想と生活と創作についての雑記。
あらすじ。
世界中がゾンビだらけになった世界で引きこもりでゲームオタクの青年は故郷のコロンバスに向かう途中、タラハシーへ向かうという屈強な男と出会う。 男は自分の名前を明かそうとはせず、過去もあまり話そうとはしない。互いの名前は目的地で呼んだ。 コロンバイこと青年の分かっていることはタラハシーがあるお菓子を死ぬほど愛していること、それとゾンビを死ぬほど憎んでいるということだけ。 あらすじ終わり。 非常に面白い。開始十分でその面白さが分かるだろうと思う。 スプラッタなシーンは殆ど存在せず、かといえばドラマチックな死や手に汗握るアクションらしいものも殆ど存在していない。特殊なカメラを使った映像美があるわけでもないし、アイ・アム・レジェンドのような現実と錯覚しかねないようなCGが出てくるわけでもない。 では何が面白いかというと……ただただ爽快なのだ。これに尽きると思う。 タラハシーはゾンビがムカツクからぶっ殺す。爽快だ。 コロンバスはゾンビが怖いから逃げる。分かりやすい。 主人公はどこか傍観者めいていて、真にスポットライトを当てられているのは屈強な男ことタラハシーだ。臆病にも青年は生き残るために自分の考えた「英雄にならない」だとか「危険には首を突っ込まない」といったようなルールを厳守する。しかし、タラハシーは平気でお菓子の為に危険なことをするし英雄的な行動を躊躇(ちゅうちょ)しない。 対照的なその姿が私は面白かった。 コロンバスはルールを守る主人公ならば、タラハシーは無法者の影の主人公だろう。 というかタラハシーは自身で自覚しているほどにゾンビ駆除に対して異常なまでの才能を持っている。デッドライジングというゾンビゲームの主人公はゾンビに噛まれようが、ゾンビの群れに襲われようが無敵だったのだが、まさにあれだと私は思った。 ゾンビランドは間違いなく北斗の拳のような爽快さを持っていると思っていい。ゾンビが死ぬのは北斗の拳の悪党が死ぬような爽快さがあり、ゾンビを殺すタラハシーはケンシロウのような無敵さを持っている。 低予算で作られている匂いがプンプンするが予算をつぎ込んだ下手な映画よりもよっぽどか面白かった。 シナリオ:5/10 映像:6/10 総合:7/10 評価:娯楽映画。見るといいよ。 追記:よくよく考えて見ればそれほどシナリオらしいシナリオもなかったので点数を修正。 追記:少し思ったのですがこれはゾンビ映画のアンチテーゼ的な意味を持った映画なので、通常のゾンビ映画を見たことがないと面白くないかも。パロディの元ネタを知らないと分からないの一緒で。 PR ∴ この記事にコメントする
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幸せになりたいと思うけど、幸せを手に入れた瞬間、幸せを失うことを意識しなければならない。いつか消えてしまうことに怯えなければならない。だったらずっと不幸のままでいい。
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