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どっかの馬鹿の妄想と生活と創作についての雑記。
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女子だの女の子だのという言葉を聞くといつも思い出すことがある。

昔、お腹を空かせた私がマクドナルドに寄った時のこと。
近くの席では数人の女子高生が迷惑を考えず大声で爆笑していた。ブリキの人形のように、あるいはチンパンジーのように両手をパンパンと叩く。ソファの上だというのにあぐら。

私はみっともないなあと思い、同時にこれじゃ少子化進むわと落胆した。
注文したポテトを食い終わると彼女たちはどこかに行った。

レジの見える席でぼうっとポテトをかじっていると、明らかに男なのに女性的な出で立ちの人間が来店した。つまりオカマだった。
彼女は上品な立ち方、上品な答え方で静かに注文をする。先に運ばれてきたポテトを小指を立てながら食べた。

最後まで女性的なその仕草を見せつけられた私はカルチャーショックのようなものを感じた。
今はオカマの方が女性らしいのか、みたいな。

店を出て帰ろうと少し歩く。前方には男子高校生。みんなズボンをギリギリまで下げて、バックを背中に背負い、眉毛は細い。
「俺たちワルだぜ」みたいな風貌。周りの男子高校生も同じような顔。
私はまた落胆した。

オナベのほうが男性らしいんじゃないか、とか思って。

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給料の高い職業に就こうとするとそれなりの知能を求められる。
うん、それは分かる。

でも何でそのために将来なんの役にも立たないモノを覚えなきゃいけないんだろう。
知能を図るならそれこそIQテストをやればいい。単純にその人の知能が分かる。

でもそれをしない理由ってようは個人がランク付けされちゃうからなんだよね。どんなに努力できても暗記ができても知能指数が低いなら一生そのレベルから這い上がることができない。

弱者の救済システムが今の社会。もとより知能指数の高い奴は勉強すれば高給取りになれる。
でも将来使わないことを漠然と覚えさせられる違和感ってのは拭えない。

数学の公式を眺めて、漢文の文法を覚えて、原子記号を暗記していつも思う。
「将来絶対つかわん」って。

科学者になるって決めてるなら原子記号を覚えるのも分かる。数学の公式を覚えるのも。
中国の文章を研究したいってのなら漢文の文法を覚えるのも分かる。

でも大半はそうはならないし、一生使わず確実に忘れていくものを覚えさせられる。
それって知能と時間の無駄遣いだと思う。

だったら最初から学者コースだの科学者コースだのサラリーマンコースだのって分ければいいんだ。
一般教養をやったあとに自分の長所を伸ばすためにコースを選択するってありだと思うんだけど。

いやまあ、私が勉強できないだけのヒガミなんですけど。
でも確実にこれなら何かの分野に強い人間を恒久的に生めると思うんだけど。

私の友達には頭のいい人がいる。数学オリンピックとか出て活躍したらみたいな人がいる。
でもその人の選択する職業は、高い給料が貰える安定した仕事。

科学者になれば、あるいは数学者になれば凄いところにいけるのに、それは安定していないからという理由でそれを拒む。
それって何か間違ってないか? その人がというわけではなくて、社会の根本的なシステムが。

何だか少し悲しくなった。

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私は結構ゲームが好きだ。
RPGのようなコツコツと積み上げて行くのは苦手で、アクションのようなサクっと終わらせれるものが好きだったりする。

特にFPSやCOOPなんかの協力プレイが好き。対戦は負けるとイライラしてしまうので基本やらないです。
町中ゾンビだらけの状況の中で友達や外人と会話しながら進んで行くのとかたまらない。

でもゲームってちょっとだけと思ってやっていると、とんでもない時間を浪費していることがある。
PCは時間を喰う悪魔とはいうけど、まさにその通りだ。

ああ、ゲームがしたい。

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私達はあらゆることに貪欲だ。
私のような自己嫌悪と自己否定が常に渦巻いているような人間は、自分がこの世に必要ないと分かっていても生きることに貪欲だ。

だから存在意義を常に考え、求められることに対して執着を持つ。
社会的だろうと文芸だろうと精神的なものだろうと求められるということは、イコールで生きていていいということに繋がる。
自分はどこかで合理的で理論的だと思っているはずなのに、そういった部分で非論理的で非合理的なのだ。

生きる為に自分を殺す。
求められる像は本来の自分とは違う自分だから己を偽る。
本当の自分はそれを嘲笑う。それが最も自分が嫌いな人種でだから。
しかし、それがなくては生きていけない。

誰かに必要とされていなければ私は何を目標に生きていけばいい?
私には何もない。
誰かに恋することも、より良い生活を送る為に努力することも私には必要ない。誰かよりも優れているだとか優れていないだとかどうでもいい。

私は死んだように生きたい。
自分という個に閉じこもった私は酷く脆い。
他人と交わることを知らない。他人と自分の差異故に交わることができない。何もしてこなった私は、何も誇れることがない私は、全てが無意味だと思って生きてきた私は私を見ようとする他人が嫌いだ。
だから他人に邪魔されず、植物のような生活を送りたいと願う。

死んだように、眠るように生き続けられば私は私に絶望しなくて済む。気の遠くなるような生という時間に、先の見えない己の将来に怯えなくても済む。

ただ必要とされることを生きる糧としながら、静かに生きていられれば私は何も要らない。
私は貪欲だ。生きることに。

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幸せになりたいと思うけど、幸せを手に入れた瞬間、幸せを失うことを意識しなければならない。いつか消えてしまうことに怯えなければならない。だったらずっと不幸のままでいい。
あとネットで小説とか書いてます。ヤンデレとか好きです。
プロフィール
HN:
年齢:
125
性別:
非公開
誕生日:
1900/06/07
職業:
ニート→ライター(笑)→ニート
趣味:
読書、アニメ、映画鑑賞、引きこもること
自己紹介:
幸福論でいけば確実に不幸な人間です。それに加えて変人です。自分ではそうは思わないのですが、みんなが口を揃えて変人というので多分そうです。人間関係苦手です。そんな名古屋人。
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